冬の厳しさが近づく頃、日本庭園には「藁ぼっち」がしめやかに姿を現します。かつて農村風景としての収穫後の稲わらの仮置き場であったものが、庭園文化の中では単なる副産物の活用を超え、季節を象徴し、そして植物を守るという重要な役割を担っています。
錐形や山型に積まれた藁ぼっちは、ほのかに茶色いその色合いと柔らかな質感が、冬枯れの景色の中で落ち着いたアクセントを添えます。白雪に埋もれる庭園において、藁はまるで穏やかに呼吸する生き物のように見え、厳しい寒さの中にあっても独特の優しさをもたらしてくれます。
藁ぼっちの理念は、日本文化に根付く循環型の発想と深くかかわっています。冬場の降雪や冷たい風から植物を保護するために覆いとして使われる稲わらは、農地から出た「廃棄」ではなく「再利用」される資源です。
藁ぼっちは虫や小動物の隠れ家となり、、美的にも土や石、植物と呼応して景色を整えます。結果として、庭全体の「美」を包括的に守るわけです。
さらに、一見すると地味な素材である藁を活用する手法は、人が自然を支配するのではなく、あくまで自然の一部として共存するという哲学とも結びつきます。深層生態学を唱えたアーネ・ネス(Arne Naess)は「我々は地球を所有するのではなく、地球に属している」と説きました。
私達造園業者は冬が訪れる前に植物を守り、自然の営みに寄り添うことで、自らもまた自然の一部に帰っていることを再確認します。
藁ぼっちのような控えめな存在であっても、その背景には農業、庭園文化、季節の移り変わり、そして私たちが持つ環境への意識といったさまざまな要素が絡み合い、独自の価値を形成しています。
また、自然環境の厳しさに対して、道具や工夫を通じて適応することは、人間が自然との折り合いをつけながら生きてきた証と言えます。そこには、相手を力で制するのではなく、共存しながら調和を図る知恵があります。
藁ぼっちは、その調和の象徴とも言える存在であり、実用性と美しさを兼ね備えた日本庭園の一部として、環境とのつながりを体現しています。
上のわらぼっちは、YOKKAICHI HARBOR 尾上別荘様の庭園に設置させていただいたわらぼっち。
結婚式場という事もあり夫婦円満を叶えるという意味合いを込めて夫婦ぼっちにしてみました。写真右のわらぼっちの結びは叶え結びです。
日本庭園は、人と自然が一体となり、互いを補完し合う空間です。そこに置かれる藁ぼっちは、一見すると単なる装飾のように見えますが、自然の循環を促す工夫であり、人と自然の共生の象徴でもあります。
この小さな存在が、人々に自然の大切さや、四季の移ろいを思い起こさせるきっかけとなるのです。冬の庭に静かに佇む藁ぼっちは、私たちが自然の恩恵を受け、生かされていることを改めて感じさせる存在ではないでしょうか。