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  • 執筆者の写真三重県剪定伐採お庭のお手入れ専門店 剪定屋空

三重県四日市市YOKKAICHI HARBOR尾上別荘庭園管理事例

四日市港に位置する「YOKKAICHI HARBOR 尾上別荘」は、明治時代の名士・小菅剣之助氏の自邸をリノベーションしたレストランです。歴史ある建物と洗練されたモダンフレンチが楽しめ結婚式場もあるこの場所は、四季折々の景色を望む日本庭園に囲まれています。


明治時代、四日市の発展に尽力した名士・小菅剣之助氏。


小菅剣之助 こすげ けんのすけは、明治時代から昭和時代にかけて活躍した実業家で、四日市の港湾整備や工業発展に大きく貢献しました。1865年、名古屋の笠寺で生まれた彼は、豪農の家系に属し、幼少期から将棋に興じ、名人伊藤宗印の門下で学びました。大正10年には棋院から名人に推され、将棋界での活動を経て、家業の米殻、木材、株の取引に専念しました。後に営業の拠点を四日市に移し、地域の発展に尽力しました。


特に注目すべきは、昭和11年に彼が湯の山の景勝地の保存に関心を持ち、危険となった大石橋の木橋を、コンクリート造りの近代的な橋に架け替えることを提案し、その全工事費を寄付したことです。この橋は幅2.15m、長さ22mのアーチ構造で、純日本風の設計でした。昭和12年に完成し、華やかな祝賀会が行われました。


晩年は漢詩や書に没頭し、湯の山を度々訪れていました。昭和16年、山桜の美しさに触れた詩「湯山看桜」を作り、詩碑を建立しました。1944年、伊豆熱海の別荘で79歳で生涯を閉じました。彼の寄贈によって建設された旧市民病院など、小菅氏の地域への貢献を示しています。


このような歴史ある庭園管理を剪定屋空にご依頼いただいた事はとても有り難く庭管理を通して貴重な体験もさせていただいております。2024年の5月から作業を進めさせてもらっています。


尾上別荘の庭園は、4つの異なる要素が見事に調和した複合的な空間だと感じました。小菅剣之助氏や作庭者の想いを巡らせると、これらの要素が池を中心に統合されていることが浮かび上がります。

かなり広い敷地などで庭園管理のご提案時には4つのお庭に分けて管理方法をご説明させていただきました。



尾上別荘庭園

※各お庭の名称はご提案時に分かりやすい名前が良いかと思い、こちらで付けさせていただいた名称です。


  1. 出迎えの庭 入口の園路は、訪れる人を静かに迎え入れる重要な役割を果たしています。印象的な石畳は、庭園の美しさへの期待を高めます。今後は、石畳の目地の手入れと樹木のバランス調整が望まれます。 ビフォー

尾上別荘庭園管理


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園路の石畳の目地に雑草が生えており、樹木の成長がバランスを欠き、枯れ枝や倒木しそうな樹木もあり一部が過密になっている状態でした。まずは樹木のて手入れの前に全体的な除草と樹木に巻き付いた蔦などを取り除き、低木類を剪定して整えさせていただきました。


アフター




石畳と歩道の園路に生えている雑草など手で抜き増殖を抑えて整備し、生垣などは軽剪定を行いました。中木、高木類は樹勢が弱っている木もあるので、様子を見ながら徐々に枯れ枝からはずさせてもらっています。


 ビフォー



アフター


繁すぎてしまった下草を中心に手入れしてモミジは軽剪定を行いました。


ビフォー 


笹は刈り込みで維持した方が管理しやすいかもしれませんが、自然な笹の風情が失われてしまうので、際だけ刈り込みをさせていただき様子をみながら高さを出すように手入れさせてもらっています。

アフター





剪定屋空

本来の美しさと機能を取り戻し、訪れる人々に心安らぐ空間を提供できるお庭にさせていただきながらそれぞれの特性を活かした管理をさせていただけたらと思います。 撮り溜めた施工写真もかなりあるので少しずつUPさせていただきます。



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